後悔の念とは、いつも身勝手なものだ。
さて、忙しくてしばらく更新できなかった。
いや、今もかなり窮鼠なんだけど。図面が描き終わらん。
さて、久々に実家の母親から電話があった。
自分の父親は、しばらく癌の治療を続けていたのだけど、「もう治療をやめて、緩和ケアセンターに通う事になった。癌が転移しており、来年を迎えられるわからない」という趣旨。
父親が倒れた、という連絡があったのは4年前。
それから治療を続けていて、いつかは、この時が来るとは思っていただけれど、今日やってくるなんて、思わなかった。
これまでは、正月、GW、盆の内、現場休暇のうち、年に2回は東京から大分に帰省するようにしていた。
父親と実家の飯を食いながら、これから、後何回、一緒に飯を食い、直接話ができるのだろうと思っていた。
今回の現場で、初めて所長を任されており、忙しさにかまけ、今年の正月しか帰省していなかった。
現場が終わって、現場休暇には、長めに帰ろうと思っていた。
少し話が脱線するけれども、サービス残業をし、休日出勤を繰り返しても、仕事量がこなせない自分は、今の職に向いていないのでは、と思い、今の現場が終わったら、退職する事も考えていた。
そこで、少し長めの休暇にしようか、とも思っていた。
帰省で合う度に、小さくなっていた親父の姿が浮かぶ。
35歳まで実家暮らしをしていたのに東京に転職したい、と言った自分を、「頑張ってこい」と送り出してくれた父親。
その転職先を、もう辞めようかと考える自分。
いつも後悔しか感じない。
父親の体調が思わしくない事は薄々感じていた。
最近は、実家に電話しても、母親ばかりが電話に出て、電話口で「お父さんに変わろうか?」と言いながら、母親が父親に水を向けても、変わらずに、母親に伝言を伝えるだけになっていた。
なぜ無理をしてでも今年の盆に帰らなかったのだろう?
上手くいっていない現場を少しでも、なんとかしようと、図面を描いていたのは確かだ。
無理すれば帰れたんじゃないのか?
PCもって帰れば良かったんじゃないのか?
そもそも、35歳で実家を離れる事は正しかったのか。
9月。
なんとかして、なりふり構わず、無理をしてでも、土日に帰省しようと思う。
後悔の念とは、いつも身勝手なものだ。
ああ、そうか。
自分は身勝手に生きているだけなのだ。

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